喜久田 尚美 Naomi Kikuta

Concept

キンギョイズム

■ コンセプト

ヒトは古来よりキンギョを鑑賞用に作りかえてきた。しかしながら、交雑や突然変異種の純粋分離を続けてもキンギョの品種を固定することは難しい。キンギョはヒトの期待など我関せず、時として先祖返りをしたりするのである。ヒトの思惑どおりに成長するキンギョは全体の半分以下であると言う。キンギョは作りかえられたせいで、泳ぐ事に適した体も失った。不自然な優雅さを身に纏わされたキンギョは、それでもヒトの意のままにはならない。これは、恐るべきキンギョ的戦略と言えるかもしれない。

ヒトはキンギョを観賞すると言うが、実はキンギョの瞳はヒトをしっかりと絡め取り、ガラスケースやキンギョ街の軒先に無数に吊り下げられたビニール袋の中からまっすぐな視線を投げかけている気がする。その瞬間、この取りとめのない空間の中で溢れるような情報の波に流され浮遊し彷徨い揺れているのは、むしろ私たちヒトなのだと実感する。

しかし、ヒトはキンギョの視線を感知した時、その目の感触を得ることで覚醒し得る。そして、無意識に流れるかのような日常の奥に潜むもうひとりの我を一瞬でも感じとる事が出来るはずだと思う。その瞳を通してのみ、すべての生命との真実の繋がりとあるべき自己の姿が見えるのではないだろうか。

■     キンギョの生態的特徴と歴史

ヒトとキンギョの歴史は長い。キンギョは約1700年前、中国の南方で赤色のチンチューイが発見されたのが原種で、宋代(約400年前)から陶製水鉢を用いて飼育され、変種の選別淘汰が行われて出現するようになった。日本では室町時代に中国から伝来した。

キンギョには約25種の品種がある。品種には交雑によるものと、突然変異によって出現したものを人為的に純粋分離するものとがある。キンギョがフナから変化したことは、形態学的類似、染色体数の同型同数、純粋分類飼育による先祖返りなどで証明されている。キンギョの各品種は比較的新しい年代に出現したものが多く、遺伝子の不安定も原因してその特性が分離し、品種の特徴を確保するためには淘汰が必要である。長年淘汰されてきた尾ひれのかたちにおいてすら多くの不正形があらわれている。

フナと同じような鰭のものを鮒尾をいい、生まれて来る子の半分近くがこれである。つまみというのもかなり出る。従ってこれらを取りのけなければキンギョのかたちにならず、稚魚の選別作業が必要になる。色彩は、孵化後1ヶ月ほどたつとフナ色から漸次褪色して赤色などに変化する。身体は、横向きから鑑賞することを前提に改良されたものと、上向きから鑑賞するために作られたものとがある。

ジキンは、鱗を背部から漸次はぎとって表皮を破壊したり、蓚酸、氷醋酸、酒石酸、サルチール酸、石灰酸、稀塩酸などを塗って色素砲を破壊し色を変える。尾ひれは孔雀尾だが、永らく淘汰したものからもこの特性の出現は40%くらいである。

チョウテンガンは、清宮廷において深い陶鉢に入れて飼育されたという事から、眼球が上方の光を求めるかたちの変異性があらわれたのであろうといわれている。

ランチュウは背鰭を欠くが、この欠損性はもともと奇形であったもので、背骨が癒着し、または湾曲したものである。尾は体軸にたいして平行についており、明らかに遊泳に不適当であるため、老熟魚に老いてスムーズに遊泳を保っている個体群は一握りである。

トサキンは、交雑と突然変異によって反転している「そり尾」を持つ。当歳魚はすり鉢型の容器で飼育され、ふちにそって泳ぐ事により独特な尾が形成される。この尾のために泳ぎは上手でなく、水質の変化にも敏感なため飼育は非常に難しい。

                                                                                                                                                                                  参考文献 『金魚』 保育社 1963

■KINGYOISM: (Kingyo is the Japanese word for goldfish)

People have bred kingyo from ancient times only to satisfy their own egocentric appreciation. Nevertheless, it is almost impossible to fix particular breeds, even though people have continued crossbreeding and the process of selection of specific mutational species. Kingyo happen to throw back ignoring people’s expectations. It is said that less than half of Kingyo grow as people want them to. Kingyo has lost its bodily habitus suitable for swimming because of people’s selfish breeding. Being forced to wear unnatural elegance, kingyo still refuses to be at the discretion of human beings. This must be a formidable Kingyo’s strategy (which is beyond the control of human beings).

People may think kingyo is just being watched, but it seems that kingyo meet people’s gaze squarely and gaze back straight from inside the aquarium or the countless small plastic bags hung from the eaves of pet shops. The moment when you feel so, you realize that it is rather human beings that are washed away by the flood of information, floating and drifting in the gigantic time and space.

If you sensed the gaze of kingyo, you could be enlightened by getting the feel of their eyes; then you must be able to feel, for even a moment, another self buried deep in everyday life that seems to pass automatically. Only through the kingyo’s eyes you will be able to see the true bonds with all life on earth and your ideal self.

■History and ecological characteristics of goldfish

There is a long history between human and goldfish. Red-colored Chinchui, which was found in the southern part ofChina about 1,700 years ago, is the original species of goldfish. Chinese people bred them in the ceramic bowls in the So period (about 400 years ago), and began to sort the varieties. Goldfish were introduced toJapan in the Muromachi period fromChina.

Goldfish have about 25 different varieties. There are two ways of breeding. One is by crossbreeding, and the other is by the artificial selections of the mutations. That goldfish have evolved from crucian carp has been proven by the morphological similarity, the same number and the type of the chromosomes, and the throwback by growing a pure culture. Each breed of goldfish has emerged in the relatively new age. Because of the instability of the gene, the selections are required to ensure the varietal characteristics. Many irregular forms appear even in the form of a tail fin that has been culled over the generations.

A tail fin analogous to that of crucian carp is called Funao, and nearly half of fry have this type of tail fin. Tsumami is another type that is also found in large numbers. Goldfish with these types of tail fin are unwanted; therefore you need selections to get rid of them. Body coloration starts to graduate from the initial crucian color to red or other colors about one month after hatching. Some of goldfish were improved to be viewed from the above and others were from the side.

Jikin  – Their epidermis is gradually destroyed by stripping the dorsal scales, and their color is changed by painting oxalic acid, glacial acetic acid, tartaric acid, salicylic acid, lime, and dilute hydrochloric acid. The shape of the tail fin is similar to a peacock. The probability of the emergence of this property is about 40 percent, if people select them for a long time.

Choutengan  – It is said that they were bred in deep ceramic bowls in the Qing court so the upper eyes have appeared.

Ranchu  – They lack the dorsal fin. Originally, this deficiency was caused by malformation. Ranchu has the curved and adhered spine. Because the tail is parallel to the axis of the body, it is clearly unsuitable for swimming. Only a handful of old fishes keep swimming smoothly.

Tosakin  – They have a warped tail that is inverted by crossbreeding and the appearance of the mutations. Young fishes are bred in the vessels like a mortar and forced to swim along the edge, and this unique tail is formed. They are not good swimmers and because of their sensitiveness to the water quality, it is very difficult to breed.

References

Matsui Yoshiichi:Kingyo , Hoikusya,1963

INSIDE

■リザリア

きわめて微少であるにもかかわらず、地球の生命を支配している微生物は、進化をはじめた最初の生命であり、これらは、地球と生命の進化に深い影響をおよぼしている。

地球上の生物は大きく原核生物と真核生物に二分される。すべての生きた細胞はDNAを持っているが、真核生物には核があり、ミトコンドリアを持っている。原核生物には核もミトコンドリアもない。

原核生物は単細胞のアーキア(古菌類)とバクテリアがあり、この惑星のあらゆる場所で繁栄している。伝染病の原因にもなるが、腸内バクテリアは人間の健康にも不可欠である。

原生生物はアメーバからジャイアント・ケルプまで多様であり、生物学的な界を形成していないのでその分類は複雑であるが、いくつかの系統群に分類することが出来る。アメーバと近縁生物、鞭毛虫類、リザリア、アルベオラータ、不等毛藻類、そして緑藻と紅藻である。真核生物の非公式の分類には、原核生物より複雑なものへと進化した最初の生命体が含まれる。彼らは地球の生活圏できわめて重要な役割を果たしているが、とりわけ主要な光合成物質として、光のエネルギーを使って二酸化炭素と水を養分に転換し、一方で大気中に酸素を放出している。リザリアの系統には、すべての微小な原生生物の中で最も美しい2つのモン、放散虫と有孔虫が含まれる。複雑で彫刻を施したような殻を持ち、みごとな化石記録も残している。

私たち人間はこのように微小で多様な生物によって命を育まれ、同時に命を阻まれている。命の根源の記憶を辿り、命ある物総てが、互いに多様な生物の一部として生きる有様に思いを馳せたい。

PAFE

■パフェ

パフェの語源はフランス語のparfait。完全な(デザート)という意味であるらしい。

けれど、私の描くパフェは寧ろ不完全で、あり得ないパフェだ。

視覚を介し、冷たくて甘いという味覚を認知する直前に、食べることの出来ないものに感覚を攪拌させられるだろう。戸惑いから、この物語は始まる。
遠い記憶の中の会話、好きだった曲、雨音、波音、ミツバチの羽音、ザラッとした、あるいはなめらかな、あるいは温かな感触、苦手だった味、子どもの頃に読んだお伽噺、木漏れ日の眩しさ、行ってみたいと憬れた場所、驚きと悲しみと喜び・・・数え切れない感覚が浮かんでは消えるだろう。

それは、記憶を辿るというより、空想の世界に迷い込むというほうが良い。人の記憶とは全くあやふやで断片的なものだ。けれど空想の世界では、人は不完全な記憶の中の自分を自然な形で受け入れ、なんの矛盾も感じず自由に漂う事が出来る。

子どもの頃、好きだったパフェ。子どもの頃好きだった空想の世界がここにある。そして空想の世界から現実に戻った時、ほんの少し心持ちの違う自分を見つけられるかも知れない。アイスクリームは空想の世界への鍵なのだ。

■GRIMM

昔話には実に様々な人間が登場し、そのタイプの取り得る行動がありのままに起こっていきます。

不思議な事や思いがけない幸運もあれば、善人が理不尽にも大きな試練を与えられたり、時には残酷な悲劇に巻き込まれたりもするのです。

けれど、愚か者や弱く小さな者でも、善い心を持つ者には必ず希望と救いが訪れ、悪は滅びます。

昔話は愛を込めて語られてきた故に、とても恐ろしいエピソードの中にも、救いや生きる強さや知恵が潜んでいるのを見つけることができます。そうやって、昔話は愛され続け、消える事はありませんでした。

そのような口語りのお話を、慎重に編纂した人々の中にグリム兄弟がいます。今回は、口語りの素朴さが残る第2版の中からいくつかのお話を選び、その一節あるいは全体のイメージを元に作品を制作しました。

物語に多すぎない絵が添えられることは、ゆっくりと物語に共感し、想像の翼を広げていく手助けになるのではないかと思います。過剰に映像があふれる今の世ですが、静かに物語と向き合う楽しみを見つけていただければ幸いです。

■MUKASHIGATARI

空を眺めるのが好きだった。

高台にあった家の隣には空き地があって、学校帰りにそこからの空の景色をぼんやりと眺めるのが何より一番好きだった。

長い坂道を上って家にたどり着くほんの手前。広がる空に浮かぶ雲、渡る風、移ろう光、あかね色の夕焼け。そんな時、雲の上の世界を想像する。あるはずのない世界だと知ってはいても、そこには必ず私の国があった。

小さい頃、眠りにつく前に父はよくおはなしを聞かせてくれた。それは、いろんな物語がいっしょくたになった作り話で、私と妹を良く笑わせたものだ。母も寝る前におはなしを聞かせてくれたのだけど、母の選択は一風変わっていた。忘れられないのは「耳なし芳一」のおはなし。あんな恐ろしいおはなしを、なぜ三歳や四歳ほどのちいさな子どもに聞かせたのだろう。私と妹は毎回震え上がったけれど、母は何度も繰り返しはなして聞かせた。怖いけれど聞きたい。その感情の底辺には、母の存在があったのだと思う。母に守られているから心配はないのだった。

昔ばなしは不思議に溢れ、脈絡がなく、あるときはとても恐ろしい。けれど、それを語り聞かせる人の愛情によって、怖さはあたたかい安心感に、弱さは勇気にかわり、やさしく強く希望を捨てない人に近づいていくのではないかと思う。

様々な物語を読んでいると、(聴いていても)、一行の文、ひとつの言葉に魅せられ、イメージが一瞬で浮かび上がる事がある。その一瞬をとらえてキャンバスの上に描き出したいと思っている。

世界中の弱く小さな子どもたちが愛を受け、豊かな心を育み、安心して成長する事ができるようにと祈りを込めて、私の昔語りの世界を送りたい。